無気力ですが、至って元気なまりあです!
こう無気力になると何故か、両親を思い出します。
今更、ホームシックになっている訳ではありません(笑)
今は、やっと親子らしさを取り戻した感じですが、ここまで来るのに大変だったな~と思っています。
なんでこんな話を?
私の知っている嬢やスタッフも今までの私の様な方が多い様な気がしているんです。
もう修復不可能だ。なんて言葉をよく聞きます。
でも親子の関係に不可能ってないんだと私は思っています。
私は、親が嫌いでした。というよりも家庭が嫌いでした。
昔からの家庭で、とても厳しかった事を覚えています。
傍から見れば、とてもいい家族に見えていたそうです。
当たり前です。私は、嘘をつき続けていました。
分かり易くいえば、私は家庭の中で犬の様な存在でした。他の人より先に何かをする事は言われるまでもなく暗黙の了解で、できませんでした。
幼い頃から、何をするにも1番最後。
別に、末っ子だとかではありません。長女です。
でも、それが1つの始まりだった。昔からの家の為か、男ではなく女で生まれた事、それは家を継ぐものではないという事。つまり、女は大事にするものではない。という所に行き着いた様だ。
私は、両親を好きだった。でも、幼いながらに、両親と祖父母の関係を気遣った。
私が家を離れた理由は祖父母にあったといってもいい。
自分は犬の様だ。と気付いたのは、小学生~中学生くらいの時の話だ。
私は話の輪には入れなかった。TVはほとんどニュースのみ、遊びに行きたいが、夕飯の支度に間に合わない。
その頃、弟が生まれた。始めはかわいくてしかたがなかった。学校以外は育児もした。その愛情が、憎しみに変わるまでに時間は掛からなかった。
初めての男の子に家族は喜び、大切にしている。そんな事はどこの家庭にもある事だ。しかし、それも度がましてくる。
お前は汚い。と意味もなく蹴られ邪魔にされた。
親がいない時は、私はいつも恐くてしかたがなかった。
親は共働き、疲れて帰ってくる親は話を聞いてくれる姿ではなかった。
私が、我慢して、頑張らなきゃ!と踏ん張ってみるが、まだ幼い子供。爆発するのは時間の問題だった。
別に、親を殺してやろうとか、苦しめてやろうなんて気はなかったが、気をひきたくてトラブルを起こす事が頻繁になった。
『お前は、10の内9いい事をするのに、1とんでもない事をする。』
『なんで、そんな土壇場にならないと言えないんだ。』
親の口癖だ。
ある日、親は、
『早く家を出なさい。』
と言った。どうしてこんな子に育ってしまったのか。と考え込んでいる親にとって、最高の優しさだったのだろう。
仕事を辞めて、家を出た時の記憶は、ほとんどない。
そして、親からの連絡も無かった。
それから、何年かたった頃、私は今の仲間に出会い、人という事、人を愛する事を教えて貰った。
そして、私は変わった。人を愛し、想うという事を知った。
連絡も出来ない両親の事を想う様になった。
そんなある日、和解の日は突然の様にやってきた。
久しぶりに会う両親との接し方すら変わったのだろう。こうして話が出来て(成り立って)嬉しいと夜中まで、話た。
母は泣きながら言う、『ごめんなさい』と。
育て方を間違えてしまった。私がもっと何かしてあげれれば。と。
こんなに、大人になっているとは思わなかった。と。
私は、何故か、そんな母が嬉しかった。
私もだが、母も素直な人じゃなかった。表現が下手だった。
何故なら、母も同じ様な家庭の子供だったからだ。そうは、させまいと母なりに頑張っていた。1人の人間として娘を認めてほしい。そんな想いからの厳しい躾だった。
そんな事は言わなかったが、私はその想いを感じた。
親、友達、仲間、恋人・・・
喧嘩や、不仲の原因はすべて、すれ違いによるものだと思う。
どちらが悪いなんて事が、存在するのはおかしいと思う。
お互いが想い、素直になる事で、どんなに難しい関係も修復されていくんだと思った。
今、私は幸せです。
今まで出来なかった親孝行。
出来る今、とても幸せです。
関係の修復は、思っていればいつか出来ると思います。
急がなくても、自分が素直になって、大人になった時、きっとそのきっかけを神様がくれるんだと。
だから、自分を大切にするんです。自分磨きに一生懸命になるんです。自分が輝いていれば、幸せは向こうから勝手にやって来ます。
この仕事に何か後ろめたさを持っている方。
あなたが、目標を持っているのなら大丈夫です。ただ、見失わないで下さい。焦らないでください。
自分を大切にする事、それこそが、幸せへと繋がります。
私はそう信じています。